海にのまれ

「作品が海に呑み込まれた!」。奥能登から東京の私に連絡が入ったのは、台風21号が去った翌朝だった。芸術祭で能登半島最北端の崖と海の2カ所に設置した立体物の、その海側の作品が流されたというのだ。

芸術祭最終日、クロージングパーティーが終了し、それぞれが安堵とともに帰路についたその夜半、西太平洋上の赤道付近で発生した台風が、数十年ぶりの超大型に成長して日本列島に上陸し荒れ狂った。翌朝5時、海岸付近の町長さんから電話が入り、現地スタッフが駆けつけると作品が跡形もなくなくなっていたという。

その翌日私は現地へ飛んだ。台風一過の青空の下、断崖絶壁の作品は大きく三つに折れ、大鹿の角のようなパーツがかろうじて崖に引っかかりキラキラと輝いていた。もう一方の海岸の作品は、直径3mを超える大きな王冠のようなリングから、四方八方に長い首を伸ばした狼の頭がついているものだった。それがまるでない。美しくすっきりと、ない。

「外」では何度も遊んできたけれど、いくら構造計算をし、いくら熟練者となってもやっぱりわからない。気付かぬ部分から「外」は侵犯してきて、こちらの弱点を見事に露呈させる。相手を舐めていた事を見透かされた私は、腹の奥底からひたひたとこみ上げてくる憤りみたいなものがあった。が、腹筋をよじ登ってきたのは、なんと笑いだった。あははあははと、岩礁の上で大笑いが止まらない。

捜索すると岩場に、漁網、プラスチック製品などの大陸からの漂着物と共に、作品の欠片があちこちに打ち寄せられていた。海藻を採る老婆の横で、これは作品、いやこれはゴミ、いややっぱり作品か?と、拾っては断定を繰り返していたら頭痛がしてきた。自分があまりにも変すぎる。この陸と海の境界は分類できないものが溜まり、命名が本来無効なのだから。痛い頭でゴミとはとても「自然」なものだと思った。波打ち際では言葉も芸術も解体してゆく。なんて清々しい。

ところで、破壊された作品は奇しくも『陸に上がる』という題名だった。何者かが「上陸する」のを、私の感覚は先駆的に知覚して名付けていたのだろうか。ならば題名の呪いが叶った、と言えるかもしれない。

『かかとに棲む狼』2017年4月―2018年 連載 共同通信社より全国配信