布を触る、ザクッとハサミで切る、小さな針穴に糸を通す、針を布に刺して、蛇のように糸の尾を引いて縫う。手芸の周辺は忙しくとてもにぎやか。
これは、私が展覧会で各地を旅するようになり、行く先々の自然や人との出会いから生まれた、個人の物語を手芸で縫うプロジェクトです。
様々な方から聴き取った個人的なお話を、私が下絵に描き起こし、その下絵を型紙として、語ったご本人が、手芸でランチョンマット大の作品を制作します。制作ができない方の場合は、誰か他の方が縫います。そして出来上がったものを一堂にテーブルに並べ、長い長い物語のテーブルランナーになるのです。これまでに秋田県の阿仁合、秋田市、青森市、石川県珠洲市、タスマニア、フィンランド、瀬戸内海の大島青松園で行い、230点ほどの作品を制作してきました。
始まりは2014年頃。『美術館ロッジ』という山小屋に舟の作品を設置するプロジェクトで、北秋田市の森吉山で作業をして、阿仁合という里へ下山し、疲れ切って夕飯のご相伴に預かっていた時に、突然このイメージが浮かびました。なんだかわからないけれど、展示は壁でなく、食卓だなと。雪山から帰ってきた私たちの疲れを、温かいもので癒そうと、女性たちが甲斐々しく台所と食卓を行き来していました。
皆さんが語ってくださったお話は、家族や自分の身の周りで起こっていた出来事。それは町の歴史や行事や習俗などではない、ましてや新聞に載る出来事でもない、しかし、一人一人に起こっている、ささやかで素晴らしく驚くべき物語です。なかなか人には言えなかった話、辛く悲しい話、くだらない話、滑稽なほど切ない話もたくさんでてきました。
物語ですから、語り手によって記憶は取捨選択され、演出、隠ぺいされ、新たに編まれて創作されていきます。私は物語の真偽など興味がありません。また、よくある記憶を記録する、残す、という事にも全く興味がありません。只々、その瞬間に、その人の呼吸とともに、目の前で生まれてはすぐ消え去っていく「語り」という行為だけに注目します。なぜなら、そこにこそ、今まで一度も注目されなかった、人という動物の、重要な芸術性が潜んでいると感じるからなのです。
私は話を聞き、想像し、本人に確認してはまた調べ、具体的な形がわからない時には、適当にいい加減に、とにかく下絵を描きました。その下絵を元に、皆さんはお弁当を持って集まり、テーブルを介して縫い方を教え合い、材料を交換し、縫えない人の物語は他の人がつくり賑やかに制作し、また家に帰って独りになって制作することも重要でした。そうして様々な感情を持っていた「語り」が縫い合わせられ、目の前に「物」になっていきいきと現れてきます。
そんな物語るテーブルランナーには、絵画や写真にはない、あっけらかんとした手芸独自の強度があります。複雑な言葉の構造を壊し、素に戻してしまうような強さです。特殊な技術を学ぶことや熟練することでは出せない、子どもの時のたった一回きりの出現のような、今を生きることしか考えられないような、未成熟で破壊的な力が手芸に潜んでいるのです。
鴻池朋子