樹氷が広がる雪山に登り、そこで穴を掘って首まで埋まり民謡を歌う。
歌は深呼吸だから、最初の一声で氷点下の空気が肺の奥まで入り込む。しばらく歌っていると、喉に氷が張りついてくるように乾いてきて、心臓が締め付けられる。そこでようやく危険を感じ、あたふたと雪から這い上がってきて、急いで手で口を覆い自身の息で肺を温める。自分のやったことに驚いて、恐怖で呆然としている。けれども、体は言葉の通じないものとようやく会話できたような喜びに溢れ、全身に活力がみなぎっている。
なぜこんなことをしているかというと、遡れば、それは生まれた頃より、言葉を話すことや文字を書くことなしで、育ってきてしまったからだと思う。絵を描き、造形物をつくて遊んでいれば、人間の言葉など介さずとも、周りの世界肌触りを十分に感じられたからだ。それが大きくなると、次第にそうもいかなくなっていく。作品をつくっていくことは単に自分の草原で遊んでいるだけでは許されなくなり、アートや芸術というカテゴリーに分類され、表現するという名目とともに、展覧会などで自分以外の人の目に作品を晒していくことになる。そもそも私は作品を人に見せたかったのかな?という疑問は却下されていく。そうなってくると、他の人が使う言葉や文字という苦手な友達とも、しぶしぶ遊ばなければならなくなってくる。
それまでは、画材という物質と道具や技法のやりとりを通して、もしくは、さまざまな身体器官を使って、ときには夢を見ながら創作作業が行われていたところに、展覧会で他者に「見せる」こととなり、そこに多くの観客という人間がやってくる。展覧会は「目の見える人に見せる」という視覚優先の大前提がある。今も多くの博物館、美術館は「目が見えること」が暗黙の了解としてある。そして、美術館の学芸員や観客たちは、人間の言葉を介して考えようとするので、どうしても目の前にある作品に言葉や文字が必要になってくる。そこで作品に名付けをしなければならなくなる。名前、タイトルという呪文がつけば、観客は自然にその呪文を解こうとなって、タイトルの意味は何ですか?という質問が当たり前な感じになってくる。タイトル、もしつけないならば無題というタイトルをつけましょう。
ここまでくるともう展覧会は言語にほぼ支配される。創作行為はまるで作家が作品という子どもを産みだすことにになり、作家には著作権という未成年者の親のような権利まで与えられる。作家は最後に作品にサインを書く。サインという一種のスティグマが刻まれることで、もう作品と作家は一心同体だというイリュージョンが起こる。収集家は作品を購入することで、生ものである作家を手に入れたも同然の心地になる。
作品を創造する、産みだすという言葉によって、作家を創造主として神格化する力がどんどん加速する。何かをつくって発表すれば誰でも作家と宣言できうる現代において、その誰でもが無から何かを産む創世神話に陥る可能性がある。みんな神様となる。
「表現する」という言葉もアートに与えられる。身体の内側にあったものが、外側へ現れでてくるイメージを持つこの言葉が、とても便利で、アートでよく使われるようになる。そしてば“外”ヘでてきた作品というのは、“目に見える”物なので、観客は同時にその作品の見えない内側というものも想像して考え込む。内側と外側、心と体、私と他者、人間の一つの身体を内側と外側に分けることは、実際には目の見える人が、自分の「目に見える側」と「目に見えない側」とに区別したに過ぎない。展覧会が目が見える人の独壇場であることから、言語も想像力もどんどん、目でよく見ることによって知覚するもの、もしくは見えない部分をよく探っていくこと、というように視覚的なものへと偏っていく。絵は目で見る。絵と言葉の関係は古く、かつて言葉という形のない音声を、文字という形/絵にし、目に見えるものにしたところから、すでに蜜月の関係が結ばれてしまったように思う。目を瞑り手探りする絵が私には必要になってくる。
随分と前に、お能の観世流の能面の虫干しを見学したことがある。仮面の造形を見るはずだったが、客席から舞台にかけてたくさんのお面が並んでいる傍を、ゆっくりと歩きながら一つ一つ見ていると、ふと仮面は言語ととてもよく似ているなあと思ってしまった。能楽師の「仮面を装着し顔を隠すことで、本当の自分が現れる」というお話を伺ったときも、私は失礼だがこっそりと、仮面をつけて舞台に立ったストリッパーが、「顔を仮面で隠したことでいつもよりさらに羞恥心が増してしまった」と五社監督に話したという何かの雑誌の記事を思い出し、これらの人たちの思考は言語の仕掛けと似ているなと思った。
仮面の背後には人間の顔があり、言葉の背後には意味があるように、つまり何かしら「本当」のようなもったいぶったものが背後にあって、その「本当」が仮面や言葉によって、一旦「隠される」ことで、再び現れようとする構造をつくる。隠されているものが背後からパッと現れてきたら、それがなんであっても本物らしく感じてしまう。この「隠されていたものが現れる」という仕掛け/マジック自体が、人間の様々な「本物」らしさをつくり上げている。
この“もったいぶった”言語構造は、芸術の中でも同様に行われている。事実、国内外問わず、多くの作品が言語的、仮面的であり、展覧会の企画側がそういう言語構造を要求さえする。それによって多くの作家が作品という物体の横でこれでもかとテクストで説得する。作品はそこそこでも、コンセプトにうっとりとしてしまう。そして作品をつくっていると、この仮面や言語構造と同様の仕組みに、知らず知らずに巻き込まれていきそうになる。やがて展覧会で作品はコンセプトという言葉とセットが当然になり、そのセットで賞賛され、虚栄心を揺すぶられ、批評され、非難もされ、作家はそれを聞いて深く傷ついたりと一喜一憂する。
けれどもよくよく考えてほしい。作品と言葉は別のものであり、また、作品は物であり、私という人間ではない。作品は何一つ傷ついてなんかいない、静かに、冷え冷えとそこにあるのだ。そしてこれこそが、芸術のとても明快ないいところなのである。作品はキッパリと人間の身体と絶縁している。作家と作品を一緒のものにし、人間とは何か、芸術とは何かと難解にさせようとするのは言葉の得意技であって、普通に考えれば作品には言葉などくっついていない。いまだに芸術とは何かと、疑問だけ投げかけているだけのアーティストがいたら、一緒に歌って言語の呪縛から救ってあげたい。
私は言葉や文字を経由するような身体の動かし方がなかなかできないので、言語構造のようなものの掴み方ができない。目の前にあるものをただ掴んでそのまま差し出すような、人間の作為を隠さずにほぼそのまま台にあげるような色気のないことをする。仮面によって本当の顔を隠し、仮面を剥いで出現するという現れ方もできない。たとえ仮面を持っていなくても、無いままでトランス状態になり、また覚醒する。つまり、
秘密を隠さなくても、仮面をつけなくとも、憂いを帯びなくても、意味を持たせなくとも、そこにあるというだけで十分素晴らしくて大変なことなのだ。
だから、雪山で歌うのである。
ここで振りだしに戻る。馴染みの山岳ガイドさんに体を雪に埋めてもらい、頭だけだして動けなくなるようにする。あまり方法など綿密に考えずに思いついてやったことだったが、体が雪に拘束されれば、頭以外は使えなくなり、自ずと吸って吐いて呼吸することに集中する。身体は道具として一番ブラッシュアップされた形でそこに埋まっていて、そして唯一の人間の作為である歌を歌ってみる。
歌は、歌詞の中の様々な湿度を持った言葉を、カラッとした日向に押しだしてやるような感じがあり、一方で音という古巣に還してやることでもある。呼吸によって息は吐き出されたり吸い込まれたりし、外気は声によって大きく振動し始める。それを雪山の彼方で、冬眠中のクマがぼんやりと聞いているかもしれない。観客は人間だけではないのである。歌が終われば、再び言葉は意味を持ち始めるのだが、歌の最中は、音の振動となって、空気抵抗で弱まりながらも山や空へと伝わっていく。観客が人間だけではないということは、森羅万象に一つ一つ挨拶して、声をかけていかねばならないということだ。
雪山で歌った民謡は、娘を嫁にやるときに男親が門出で歌う秋田長持唄という歌だ。「蝶よナー花よナー育てた娘エエ今日はナーヨ 他人のヨオ オャ手に渡すナーエー」すでに秋田弁という日本語だけでなく、端々に風のような牛の嗚き声のような音が混じってくる。箪笥や長持ちを七竿も八竿ももって、馬で引いていく豪華な婚礼だけれども、一山越えればそこは異界という時代、娘は大切な村の贈り物となって境界を渡った。この歌を雪山で歌っていると、歌詞の意味と山に木霊する声が仲良く溶け合っていき、また体は山に食べられているようにこれもまた溶解し、体はイケニエとなってとても清々しくなる。生きていれば日々何かあって、人間の言語が到達しない彼方に、生まれたての体で放りだされる。怖くて困って泣き出す、声を上げる。そういうことの繰り返し。
アーティストのことば 文學界2020年10月号